アートの宅配便

お酒と本とアートが好きです

無駄を楽しむ

私は落語が好きであります。

大学生の時に先代(10代目)金原亭馬生の『笠碁』でヤラれて以来、今でもずっと好きで。もちろん、好きになった時に馬生師は鬼籍に入られていましたので、間に合いませんでした。悲しみ。

十代目 金原亭馬生 ベスト オブ ベスト 笠碁 / 文七元結
 

昔は特定の人をおっかけて聴いていましたが、今は寄席の雰囲気であったり落語そのものが純粋に好き。(特に好きな落語家さんは?と聞かれたら、五街道雲助師、橘家圓太郎師、柳家小満ん師であります。亡き柳家喜多八師も好きだったなぁ。)

 

前の日記に書いた様に、映画や落語、読書や美術鑑賞って、実生活では機能しない。人間が生きていく上で必要なものは「衣食住」。世界の裏側にいる、支援を求める子どもを前にした時、彼らが欲するものこそが人間が本当に必要なもの。

安定した治安であったり、法律であったり、食事であり、温かい布団であり…。

それ以外は、雑にいっちゃえばいらないもの・無駄なもの。

 

けれどそれで切り捨てるのは、少し悲しい。

今のところ私は「衣食住」やその他の環境も恵まれているし、それに感謝をして乱暴な生き方はしていないつもり。だからこそ、沢山の無駄を楽しみたいと思う。

最近の若者(一応私もそのカテゴライズに入るらしい)は無駄の楽しみ方を知らないらしい。無駄を楽しむってことは自分の時間を如何に充実させるか、使うかってことに繋がる、それを知らないというのはもったいないな、と思う。

 

知り合いにメディアに携わる方がいて、部下に対しては無駄に会社にいるくらいなら芝居の一本・本の一冊でも読まんか、ナマモノに触れんか、と口酸っぱく言っているそうだけれど、皆なぜか会社にいるそう。そして早く帰ってもパソコンで動画をみて、寝て…という生活らしい。あらゆるメディアが誕生したとはいえ、若い人達の価値観が落ちているということ。きっと彼らは自分のスマホ代に1~2万は払えるのに、映画1,800円は払えないという価値観なのだろう。

私だって高給取ではないし、学生の頃とかお金なんて全然なかった。けれど見たい、聴きたい、読みたい、行きたい、という気持ちが何よりも優っていたから、ご飯一食抜いたり、交通費浮かせるために1時間歩いたりなんてザラだった。(人間本気でやろうと思ったら意外にできちゃうもんだとこの時学んだ)

人には人の乳酸菌、じゃない、人生があるし経済的な問題もあるので否定するわけじゃないけれど、何だか何だか残念なのだ。

時間が許すなら、行きたい美術館とか外国とか、読みたい本とか観たい映画とか山のようにあるよ、あたしゃ。くれ!その時間!と思うけど。

 

みんな平等に流れる時間だから、せめて自分だけは迷わずにこの好奇心を持ち続けられたらいいな、なんて思う本日でした。